破壊の前に創造を
みんな知ってると思うけど、実はこのBLOGは旅行日記。
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北海道上陸
苫小牧
そう、今年の夏、甲子園を湧かせた駒大苫小牧の苫小牧。

苫小牧フェリーターミナル
苫小牧


東日本一人旅9日目:8月14日
午前1時に苫小牧到着。苫小牧港フェリー埠頭と苫小牧駅は歩いて1時間半ほど。大体ちょうど中間地点のところに漫画喫茶があるのを調べていたのでそこで寝ることに。
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テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

移動日
東日本一人旅8日目:8月13日
いざ、北海道へ。
朝、カプセルホテルをチェックアウトしてコインランドリーの場所を聞いて洗濯をしに行った。コインランドリーでは自衛隊に入隊しているという兄ちゃんが話しかけてきたり。自衛隊は絶対やめとけと言われた。
洗濯後、IGR(いわて銀河鉄道)で青森県の東にある八戸へ。八戸から苫小牧というルートで北海道に上陸した。
八戸について、観光案内所で八戸港への行き方を聞くとタクシーだと言われ、バスの運ちゃんに聞くと去年(2005年)でフェリー埠頭行きのバスは廃止になったと言われたので、仕方なしにタクでフェリー埠頭へ。1540円も取られた。
フェリーの待合室で今夏始めて甲子園中継を見た。フェリーではすることもなく夜8時ごろから到着の1時間前まで仮眠した。

IGR(いわて銀河鉄道)
IGRいわて銀河鉄道

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十和田湖
十和田湖
この旅で行くはずだった、行きたかった場所。
典型的な二重カルデラ湖で周囲44km。形成は20年前。

東日本一人旅7日目:昼過ぎ
当初の予定では、遠野には行かず十和田湖に行く予定だった。
と言うか、予定より半日ずつほど早いペースで旅が進んでいたので、工程を予定通りに戻すべく、この日の午前中に遠野へ行って、昼過ぎ予定通りの時間に十和田南駅に着いた。
事前にネットで調べたデータでは、十和田南から十和田湖へ行くバスがあって、予定通りに着いた電車と10分後にバスがあるはずだったのに、行ってみるとそのバスが無い。
売店のおばちゃんに聞くと「そのバスは今年の4月で無くなったよ」と言われ。しかも、やったら田舎なので2時間半後にしか帰りの電車が来ない。困り果てて、とりあえず街を歩いて見ると幹線道路に出たのでヒッチハイクを試みるも1時間半ほど経っても成果は得られず、更に雨が降ってきたので、お酒とつまみを購入して駅へ戻った。

その後、やっとの思いで盛岡に戻り、しょげて駅前をぶらぶらしているとカプセルホテル(大浴場着き)を発見したのでそこに泊まることに。前日に泊まった漫画喫茶にはシャワーが無かったから、ちょっとうれしかった。

いつか、機会があれば十和田湖は絶対行きたい。

十和田南駅
秋田県鹿角市にある、JR東日本花輪線の駅。てっちゃん(鉄道オタク)の間では、十和田南駅はスイッチバックの駅として知られているらしい。
調べたところによると、「スイッチバックとは鉄道において、険しい山岳を越えるため・勾配を緩和するために、駅や信号場で列車の進行方向を変えて運転すること。またそのための鉄道施設をいう。設備としてのスイッチバックが設けられる理由としては、主に次のとおりである。」らしい。
十和田南駅
十和田南 電車

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遠野
遠野
河童や座敷童子で有名な柳田國男の「遠野物語」で知られる遠野は、数多くの伝説が残っている。

遠野物語
柳田國男が1912年に発表した説話集。
岩手県遠野町(現、遠野市)出身の佐々木喜善によって語られた地元の民話を、柳田が編纂したものである。その内容は、河童や座敷童など妖怪に纏わるものや、神隠しなど怪談系のものを多く含む。

常堅寺
カッパ狛犬
1490年に開山し、山門には3.5mの仁王像が安置されている。境内には頭に円形のくぼみがあるカッパ狛犬がある。昔、寺が火事になったとき小川に住んでいた河童が消火したことから祭られるようになった。

カッパ淵
カッパ淵
常堅寺の境内の裏を流れる小川。その昔、ここには河童が多く住んでいて、人々を驚かせていたといわれている。

山口
山麓の水田地帯に水車小屋、姥捨て伝説が残るデンデラ野がある。

山口の水車
山口の水車
今ではほとんど見ることができない情緒ある水車が今なお健在している。最近まで付近の人々の脱穀や製粉に使われていた。

デンデラ野
デンデラ野
ここは60歳になった村人が捨てられたという伝説が残る。非生産者とみなされた老人たちはここで自給自足の生活を送ったといわれる。また、死者の霊が通る場所とも言われる。
欄干の絵
デンデラ野の近くの川に架かる橋の欄干に衝撃の絵が。老人を背負って捨てに来る絵が描いてあるのにはビックリした。


遠野はカッパを前面にアピールした街。
街のいたるところに、カッパに関したものが。遠野駅の前に数体の河童の像があったり、歩道の柵に河童の絵が描いてあったり。
柵にもカッパが


東日本一人旅7日目:8月12日
早朝の電車で遠野へ。駅の観光案内所のレンタサイクルでチャリを借り、山口(部落の名前)の水車を目指した。駅の観光案内所のおねいさんは綺麗な人だったので多少テンションも上がりつつ、片道約10kmの道のりを出発した。

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盛岡
盛岡
本州最大の面積を持つ岩手県の県都。
南北に流れる北上川に東から中津川、西から雫石川が注ぐ場所にある。

石川啄木新婚の家
石川啄木新婚の家
石川啄木が1905年に1ヶ月間、節子と両親、妹で暮らした家。

いーはとーぶアベニュー材木町
材木町
北上川の東岸、旧盛岡高等農林学校へ通った宮沢賢治が歩いた材木町通り。今は普通の住宅地の道路。

石割桜
石割桜
盛岡地方裁判所の前の巨大な花崗岩の割れ目から伸びているエドヒガン桜。樹齢約400年といわれている。


東日本一人旅6日目:夜
日が沈んだころ盛岡に到着。啄木新婚の家、岩手公園、石割桜、いーはとーぶアベニュー材木町を日が暮れた時間に回ったので微妙だった。飯を食った後、寝るべく漫画喫茶に行くも、ショボイ漫喫でシャワーどころかブースにコンセントすらなく、仕方なくブースの電気の線を抜いて携帯の充電をした。

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平泉
平泉
松尾芭蕉が奥の細道の旅で「五月雨の降り残してや光堂」と「夏草や兵どもが夢の跡」の句を残した。約850年前、京の都を越える北の都として築かれた藤原三代の栄華の跡が中尊寺や毛越寺と共に残っている。

義経堂(高館)【ギケイドウ(タカダチ)】
中尊寺東方の高館には、藤原秀衡を頼って落ち延びた源義経の館があった。そこに義経堂があり義経像が安置されている。眼下には弁慶が立往生した北上川が望める。
義経堂(高館)

中尊寺
850年に慈覚大師によって開かれた天台宗の東北大本山。14世紀に金色堂と経蔵を残して消失したが、その後様々な堂塔が再建されている。
中尊寺入口
中尊寺
金色堂
鉄筋コンクリートの覆堂で保護された金色堂の内外は漆に金箔が押され、柱には金銀珠玉がちりばめられている。須弥壇の中には中央に清衡、左右に基衡、秀衡がミイラとなって安置され、秀衡の側に四代泰衡の首級を納める。(堂内撮影禁止)

武蔵坊弁慶の墓
中尊寺に至る月見坂の下にある。
武蔵坊弁慶の墓

毛越寺
850年に中尊寺と同じく慈覚大師が開いた別格総本山。
藤原基衡・秀衡の時代に金銀をちりばめ、紫壇、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡には霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、大火や相次ぐ兵火や野火で焼失し、現在では再建された本堂などが少し建っているだけで、大泉ヶ池が広がっている。
毛越寺
毛越寺復元図


東日本一人旅6日目:午後
仙台より電車で移動してきて、歩いて平泉の街を歩いた。レンタサイクルを借りればよかった。
ここ平泉は、今回の旅の中でも一番感動した場所かもしれない。ただ単に寺2つを巡っただけだけど、俺が知っている日本史(大学入試で日本史は勉強していない)の中でも、最も好きな時代の歴史の場所だから、やっぱり、藤原三代がここで眠ってて、義経堂があって、弁慶の墓もあってってなると、やっぱり感動した。

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松島
松島海岸

松島
天橋立宮島に並ぶ日本三景の1つ。無数の小島が湾内に点在する景観美には松尾芭蕉も絶句したといわれる。

福浦島
瑞巌寺五大堂の北東に浮かぶ島で、陸地とは全長252mの朱塗りの橋で結ばれている。
福浦島

五大堂
807年、坂上田村麻呂が東征のおりに建設し、後に慈覚大師が五大明王を安置したところ。現在の建物は、1604年に伊達政宗が改築したもの。
五大堂

瑞巌寺
828年、慈覚大師によって開創された伊達家の菩堤寺。本堂内の孔雀の間は極彩色の彫刻で彩られている。(堂内撮影禁止)
瑞巌寺


東日本一人旅6日目:8月11日
仙台の漫喫を早朝に出て電車で松島へ。途中で寝てしまって、松島海岸駅を一駅寝過ごした。
松島は雨こそ降っていなかったものの、生憎の曇り。海岸沿いを歩いていると、福浦島に架かる朱色の橋を発見したので行ってみると「有料」と書いていたけど、朝早かったので無料だった。島を歩き、一番奥の見晴台まで行って戻ってきた。その後、五大堂を見て駅へ戻った。すると、目の前で電車が行ってしまって乗れなかった・・・。時間ができてしまったので、瑞巌寺へ。
仙台の観光はまたの機会(あれば)にしようと諦め、予定していた電車に何とか乗り、一路、平泉へ。

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仙台
仙台駅

東日本一人旅5日目:夜
夕方に会津若松を出発し、仙台へ。到着は夜。
仙台は都会だ。

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会津若松
会津城

会津
400年前、会津若松に入った蒲生氏郷は城を中心に碁盤の目に道を通し、城郭の内外を堀で仕切り、外に商人や職人を住まわせた。
飯盛山は戊辰戦争での白虎隊の悲劇の舞台でもある。

鶴ヶ城
1593年蒲生氏郷が7層の天守閣を築き、鶴ヶ城と名付けた。
明治7年に天守閣は取り壊されたが、今は復元されている。

御薬園
御薬園
会津松平氏の庭園。江戸時代、薬用ニンジンが植えられて以来御薬園と呼ばれた。400種類以上の薬用植物や御茶屋御殿、心字の池などがある。

旧滝沢本陣
旧滝沢本陣
会津藩氏が参勤交代などに使った休憩所。柱や壁に白虎隊の奮戦の証となる弾痕や刀傷が残っている。
白虎隊
白虎隊は、会津戦争に際して会津藩が組織した、15歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。
鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。会津藩では若松城を死守すべく若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊もこれを支援する形で前線へと進軍した。
しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられた。なかでも最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。このうち二番隊は戸の口原で決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた(この間庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。だがここから眺めた戦闘による市中火災の模様を若松城が落城したものと誤認し総勢20名が自刃。一命を取り留めた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)を除き全員死亡した。他の隊も市街戦や籠城等の末、戦力としては壊滅した。
戸の口堰洞穴
戸ノ口原洞穴
白虎隊士が通った洞穴。

さざえ堂
さざえ堂
さざえに似ている6角3層のお堂。階段が無い螺旋状の坂を上っていくと、途中から下りになっていて、上りと下りでは同じ坂を使わない不思議な回廊。(二重螺旋)

東日本一人旅5日目:8月10日
早朝、漫喫を出発し長岡の町を1時間ぐらい歩いた後、長岡から会津若松へ。会津若松駅のコインロッカーに荷物を放り込んで、バスの1日周遊券を買って鶴ヶ城へ。天守閣に登り、茶室(千利休の子供が作った)を見学。その後、歩いて江戸時代の天文台などを回り御薬園へ。
ハイカラさん(ループバス)に乗り、会津武家屋敷に行き、見学した後ハイカラさんを待っていたら、1つの名前で2つの停留所があることに気付かず、俺を含め8人がハイカラさんに乗り損ねるアクシデントがあったり。
やっとこさ飯盛山に到着し、白虎隊の墓、さざえ堂、戸ノ口原洞穴などを見てまわった。白虎隊記念館は閉館5分前で諦めた。旧滝沢本陣を見た後、白虎隊伝承館へ行くと戸締り仕掛けていたけど、館長のおっちゃんが「せっかく大阪から来たんやし、見終わるまで閉めるの待ったる。」と言ってくれて開けてくれた。

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長岡
東日本一人旅4日目:8月9日
少し体調が悪い。
チェックアウトの10時ギリギリまでテレビで台風(7号?←関東上陸しそうだった)情報を確認。
バスで長野草津口駅まで行って、そこから台風を避けるように新潟の長岡へ。
半日がかりの移動。長岡に着くなり漫画喫茶を探して彷徨った。
途中、信濃川に架かる橋を歩いて渡ったんだけど、信濃川やたら幅が広い。
漫喫が見つからず諦めかけたとき、たまたまコインランドリーを発見したので洗濯。と思ったら、コインランドリーの目の前に漫喫が。
体調悪いし、日が暮れたし、洗濯しないといけないしで、結局観光という観光はしなかった。
まぁ、一人旅ってのは、行く先々の町を歩いてみるってのが基本だからまぁいいか、歩いたし休もうってことで。


長岡
新潟県長岡市。江戸時代、越後長岡藩は現在の長岡市域を中心としていた。長岡藩領は堀直寄による立藩以来、古志郡の長岡城下町周辺から下流に向けてちょうど信濃川に沿って広がり、信濃川河口の港町新潟も藩領の一部であった。

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草津 (群馬)
湯畑1

草津温泉
群馬県吾妻郡草津町にある温泉。林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では東大関(当時の最高位)にランクされ、名実ともに日本を代表する名泉の一つである。
湯が滝のように湧き出る姿は、他の温泉地ではなかなか見ることが出来ない贅沢な光景である。 夜間はライトアップして湯畑を演出する期間があり、観光客の目を楽しませている。 ここ数年「湯量が低下しているのではないか」との指摘が増えてきており、 このままではいずれ枯渇するのではないかと実しやかに囁かれている。

湯畑
草津温泉のシンボル。温泉街の中心に位置する場所にある。瓦を敷きつめた歩道、石柵、など湯上がりの散策が楽しめる公園となっている。足湯、手湯なのもある。夜のライトアップも美しい。
湯畑2
湯畑 夜

西の河原公園
湯畑から歩いて20分ほどの所にある。公園内のいたる所から源泉が湧き出していて、湯川となって流れている。温泉が溶岩の岩場に流れ出し、様々な池が作り出されていて荒涼とした光景が広がっている所を公園として美しく整備されている。公園の最奥には巨大な露天風呂がある。
露天風呂は写真撮影禁止だったのでどれだけ大きいかは、是非一度、草津温泉を訪ねて自分の目で確かめてほしい。西の河原公園
西の河原

熱の湯
明治時代から共同浴場だったが、昭和43年、観光施設に改装された。草津名物の「湯もみ」のショーが草津節や草津湯もみ唄とともに披露される。観客も「湯もみ」体験をすることができる。体験した人には記念品の草津温泉のタオルと湯もみの免状が贈られる。
湯もみ

共同浴場
町中に共同浴場が15箇所ほど存在しており、さまざまな湯が楽しめる。いずれも無料である。ただ今日、日本社会の様々な場面で見られているものと同じ問題で、マナーの問題が取り上げられることが多い。利用する場合はスリ、置き引きに気をつけることが大切。


東日本一人旅3日目:夕方~
軽井沢から白糸の滝を経て草津温泉へ。予約もせずに素泊まり宿「はなみずき」へ行ってみる。ラッキーなことに空き部屋ありで泊まるところ確保。すぐに荷物を置いて草津の町を散策しながら湯畑、共同浴場2つ、熱の湯(湯もみショー)を回った。この湯もみを体験中にコンビニの袋に入れてあったタオルとトランクスが置き引きに。財布でも入ってると思ったんだろうか・・・。たいした被害も無くてよかった。その後、一度宿に戻って風呂の支度(タオルとパンツ)をビニール袋に入れて今度は西の河原温泉へ。1時間半ほど入った後、帰り道でビールを買って飲みながら宿へ。晩飯を食べに行きがてらライトアップされている湯畑を見つつ足湯に浸かったたり。晩飯は牛丼を食いながら濁り酒とキムチ。
晩飯 濁り酒
宿のテレビで3日ぶりにニュースをチェック。台風情報を確認。ついでに甲子園が始まっていることも知った。

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北軽井沢
北軽井沢
長野県と群馬県の県境にそびえる標高2568mの浅間山北麓に広がる高原。

白糸の滝
白糸ハイランドウェイ沿いに流れる湯川の源流にかかる滝。落差は3m程だが、幅が約70mもあり、岸壁を流れ落ちる水が白い糸のカーテンのように見える。
白糸の滝


東日本一人旅3日目:昼過ぎ
軽井沢からバスで草津へ移動。途中にある白糸の滝に立ち寄った。
今まで、いろんな滝を見てきたけど、この白糸の滝ほど上品なものは始めて見た。この近くに行ったときは必見。たぶん、秋の紅葉の次期へ行くともっと綺麗だろーな・・・。

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軽井沢
旧軽井沢銀座

軽井沢
年間800万人の観光客が訪れる日本有数のリゾート地。古くは中山道の峠越えをする人々で賑わった宿場町。明治時代に英国人宣教師ACショーらに避暑適地として紹介されて以来、外国人の別荘やホテルが点在する欧米風の雰囲気を持つ町として発展してきた。
軽井沢は新・旧軽井沢、中軽井沢、北軽井沢、南軽井沢、信濃追分の5つのエリアに分けられる。その中で、北軽井沢のみ群馬県で残り4つは長野県である。

旧軽井沢銀座
旧軽ロータリーから軽井沢ショー記念礼拝堂までの通りが旧軽井沢銀座。様々な種類のショップや食事処が並んでいる。細い路地へ入ると歴史あるホテル、テニスコート、別荘などがあり、昔ながらの避暑地の風景が広がる。通りでは小型のものから大きなものまで様々な犬と、上品な飼い主を多く見かける。上の写真が旧軽銀座。

聖パウロカットリック教会
軽井沢のシンボルともいえる教会で、1935年に建てられた。設計は旧三笠ホテルの設計にも携わったアメリカの建築家アントニン・レイモンド、施工には日光の宮大工があたった。
聖パウロカトリック教会

ショー記念礼拝堂
避暑地としての軽井沢を開発したACショーが布教活動の拠点とした軽井沢最古の教会。入口前の右手にはショーの胸像が立っている。
教会の右手にあるショーハウス記念館は彼の別荘を移築復元したもの。
ショー記念礼拝堂 外
ショー記念礼拝堂 中
ショーハウス
ショーハウス


東日本一人旅3日目:8月8日
松本から篠ノ井へ行き、そこから「しなの鉄道」に乗り換え、軽井沢へ。軽井沢駅前でレンタサイクルを借り、旧軽井沢方面へ行き教会を見て旧軽井沢銀座を歩いた。途中、ショッピングモールでカラクリを展示・販売している店を見つけて入ったりもした。
なんというか、軽井沢は俺みたいなバックパッカーもいたけど、雰囲気は上品でセレブが多いよーな気がした。軽井沢はいろんなショップがあって、見て周るだけでも楽しかった。
軽井沢 カラクリ屋

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上高地
上高地 散策

上高地
常念岳、槍ヶ岳、穂高岳、焼岳など北アルプスの秀峰に囲まれた地。明治20年代にイギリスの宣教師で登山家のウォルター・ウェストンの著作「日本アルプスの登山と探検」によって紹介されてからは、日本有数の景勝地・登山基地として多くの観光客が訪れている。
夏になお冷たい梓川に架かる河童橋周辺は観光の中心。清流と山々の造り出す美しい景観は一見の価値がある。

大正池
1915年の焼岳噴火活動によって梓川がせき止められて造られた池。水没した樹林が立ち枯れ、焼岳や穂高連峰を水面に映し、幻想的な景観を見せる。近年、焼岳の土砂の流入で陸地化が進み、年々規模が縮小しており、当初の3分の1の面積しか残っておらず、いずれ消滅してしまうといわれている。
大正池

河童橋
上高地のシンボルとして知られる吊橋。梓川に架かる橋の上からは穂高連峰の眺めが美しい。上高地観光の中心地でここを基点に南北に散策路が伸びている。
河童橋

明神池
明神岳の南麓、原生林に覆われた幽玄な池。畔に立つ穂高神社の奥社の御神体でもあり、荘厳な雰囲気が漂う。
明神池

東日本1人旅2日目・昼
畳平から平湯温泉を経由して上高地へ。
2時ごろ大正池に到着。そこから河童橋へ向かって歩き、河童橋付近で休息を取った後、明神池へ。明神池に着いたのは5時ごろで人はほとんどいなくて、とても静かだった。明神池は朝靄がかかるのが有名らしい。夕方に行ったので靄は見れないと思ったけど、30分ぐらい明神池の畔で黄昏ていると靄が!!見れてよかった。
明神池の畔で出会った60代の夫婦と少しの間喋りながら河童橋へ戻った。
この夫婦と互いに写真を撮りあったんだが、この時おじいさんが「この写真は(自分の)葬式のときに使うから少しアップで撮ってくれ」とか言い出すし。人をアップにしたら綺麗な景色が写らねぇよ。
明神池 俺

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乗鞍
乗鞍 万年雪

乗鞍
長野県と岐阜県にまたがる高原と山岳のエリア。
剣ヶ峰

乗鞍岳
標高3026mの主峰:剣ヶ峰を中心に数々の支峰をもつ。標高2702mの畳平までは日本一標高の高いスカイラインが整備されており、最近までは車で登ることができた。しかし現在はマイカー規制の為、バスを利用しなければならない。畳平のバスターミナル付近は土産物店や郵便局があり山頂散策の拠点。鶴ヶ池畔にみられる高山植物が美しい。剣ヶ峰頂上までは片道1時間半。山頂から見渡す南・北・中央アルプスは雄大。
剣ヶ峰 山頂

東日本一人旅2日目:8月7日
漫喫を出て南松本から松本へ移動。松本電鉄で新島々へ行き、バスに乗り換えて畳平に到着。乗鞍の気温は15℃ぐらいで少し肌寒かった。
お花畑を傍目に通り過ぎ肩ノ小屋へ。ここから剣ヶ峰へ登るには荷物(10kg超)が重くて邪魔だったので小屋の外に放置していった。剣ヶ峰は足場が悪いところが多かったので荷物は置いていって正解だった。40分程で頂上に到達。少しガスが出始めていたけど、頂上からの見晴らしは最高。下るのもなかなか大変だった。
ちなみに、剣ヶ峰に上るのは2回目。初めて来たのはいつだったかな・・・。まだだいぶ小さい頃だったからハッキリ覚えてない。
乗鞍 俺

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松本
松本城 昼

松本
3000m級の山々を西に眺望する松本盆地の中心にある。北アルプスの玄関都市。中世に信濃国府が置かれ、戦国時代から近世にかけて松本城の城下町として発展してきた。また、千国、野麦、伊那、北国西街道が交差する交通の要所でもあり、木曽や諏訪、伊那を含む中南信地方の中核都市として栄えた。

松本城
市の中心にあり、現存する5層の天守閣の城としては日本最古のもので、戦国時代の面影を残す貴重な文化財。黒の下見張り板が特徴。城の周囲は松本上公園として整備され、東側には太鼓門が再建されている。
松本城 夜

旧開智学校
日本で最古の小学校の1つで重要文化財。1876年に建設された近代的な擬洋風建築。1963年まで90年間小学校として使われた。
旧開智学校

東日本一人旅1日目:8月6日
朝から9時間かけて大阪から松本(長野県)へ。
あまり意味は無かったが、岐阜を横断するルートから名古屋を通るに変更した(気分的に)。
やっと松本に到着したのは夕方。松本市街を散策。松本城のライトアップはかなり綺麗。
この日の晩は南松本にあった漫喫。

ナワテ通り
ナワテ通り
路地と猫
松本 路地

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倉敷
倉敷美観地区3

倉敷
蔵屋敷の町並みと倉敷チボリ公園と新旧の魅力を併せ持つ倉敷は、県下屈指の観光地。江戸時代に天領として繁栄した面影は美観地区に色濃く残り、柳並木の堀割の両側には白壁の蔵屋敷が軒を並べる。
倉敷美観地区1

美観地区
白壁や格子窓の蔵屋敷が並ぶこの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、85棟のほとんどが江戸時代中期に建てえられたものである。
倉敷美観地区2


この中国地方の旅はここ倉敷が最後の観光場所。
倉敷を出た後は、この日の夕方にあった大学の楽団の飲み会へ。
お土産はキビ団子。

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尾道
尾道 寺

尾道
古くから港町として栄えてきた街。
海際まで山がせり出し、山腹の斜面を埋める町並みに軒を縫う狭い石畳の坂道が迷路のように続く。山手には20以上の古寺が点在している。
尾道 階段

千光寺
本尊の千手観音は聖徳太子作と伝えられる。山の中腹の崖上に張り出した舞台造りの本堂からは尾道の市街が一望できる。
千光寺

文学のこみち
ロープウェイ山頂駅から千光寺周辺を巡る約1kmの遊歩道。林芙美子をはじめ、尾道にゆかりのある正岡子規、松尾芭蕉、志賀直哉などの文学碑が25基点在する。
正岡子規


朝、広島から尾道へ移動し、着いたのが8時過ぎで、まだ観光案内所が開いていなかった。
そもそも観光案内所がどこかわからず、その辺にいてたおじさんに聞いてみると、9時にならないと観光案内所は開かないと教えてくれた。さらに、そのおじさんは観光案内所のある建物の上階の一角に勤めている会社の事務所があるからと、「これも何かの縁だから観光案内所が開くまでの間、事務所に来て旅の話でも聞かせてくれないか?お茶でも出してあげよう。」と言ってくれた。お言葉に甘え、事務所に言って少しの間お話をした。このおじさんはその事務所の偉いさんだったっぽい。
観光案内所が開く時間になり、おじさんにお礼を言って尾道の街を散策しようと歩き始めたはいいが、暑いし荷物が重たいし坂だし階段だしで大変だった。尾道を散策する機会があれば、大きい荷物は駅のコインロッカーに放り込んで行くことをお勧めする。
尾道 展望台

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